ここんにちは。知覧銘茶.com 担当の うえっぶます(webmaster)といい
ます。! よろしくお願い致します。 市町村合併で生産量(10,193t)、栽培面積(3,388ヘクタール)と
も「日本一」に躍り出た南九州市。茶農家千百戸余りの“リーダー”
となって一カ月半、遅霜の被害もなく、初めての新茶期をほぼ終え
ました。「今年は天候も良かったし。まずは『日本一』の名に恥じ
ない茶ができたと」と笑顔でした。 しかし、鹿児島県茶市場での二〇〇八年産一番茶取引が五月末で終
わり、蓋を開けてみると本茶、番茶を合わせたキロ平均価格は前年
より13.4%安い2,026円にとどりました。一番茶の平均価格が二千百
円を割り込んだのは、一九七八年(1,967円)以来、三十年ぶり。今
年の荒茶の価格はすこぶる悪く、30年前の価格に匹敵するほど低迷
してしまいました。
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─* 08年産、過剰在庫で2100円割れ=鹿県茶市場
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2008年06月04日:朝刊 001頁掲載] 県経済連によると、〇八年産一番茶取引は当初堅調に推移してい
たが、他県産地の出荷が本格化した四月下旬に入って急落。
その後 も回復することなく低調な取引に終始した。
一番茶取引の内訳をみると、主にリーフ茶用の本茶が二千三百二
十二円と前年より14・9%下落したのに対し、ペットボトル用の
需要に支えられた番茶は七百七十三円で前年並みを維持した。
取扱数量は五千五百八十六トン(前年比3・3%増)だった。
茶価低迷を受けた対応として、「販売協力店や量販店でのPRを
強化して消費拡大を図るべきではないか」「より低コストで生産で
きるよう指導していく必要がある」といった意見が出された。
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今から10年程前の記事から2本一昔前の「鹿児島茶考」より
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─* 攻める生産地/1・集団農場
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[1998年04月26日:朝刊
001頁掲載]<10年前のお話>
朝露が陽光にはじかれ、茶園を包む空気が揺らめきだす。四月十
一日午前八時。鹿児島県川辺郡知覧町の西垂水茶業有限会社の一番
茶の摘み採りが始まった。
工場内の広場は十三台の乗用型の茶刈り
機と四十台のトラックで埋まった。「摘採の指針をしっかり守り、
気を引き締めて頑張ってほしい」。
西垂水益美社長(71)のげき が飛ぶ。「摘採班」四十人は一斉に割り当てられた茶畑に向かった。
会社の母体でもある西垂水茶生産組合は八十六人の組合員を抱える。
全組合員が所有する畑の総面積は百六十ヘクタールに上る。刈
り取りはすべて共同作業。会社側には荒茶加工と販売、生葉の格付
け査定などが任される。
「一日九十トンの生葉を処理できる。小さ
な工場の一年分てとこかな」。工場長の西垂水静夫さん(62)が
誇らしげに説明した。
平均百メートルの長さで整然と並ぶうねをまたいで乗用型が進む
。まくら地で方向を変え、一往復に二十分余り。二十五キロ入りの
収納袋十二袋が生葉で膨れ上がった。
「摘むのは楽やち、一日一ヘ
クタールだって大丈夫」。運転席の東垂水幹夫さん(60)が、袋
をトラックに積み替えるわずかな時間に話してくれた。「おめんし
(嫁女衆)の仕事は特に楽になった。静岡から視察に来る人は”家
内を連れて来たら、(苦労する静岡に)帰ってくれなくなる”と言
って引き揚げていきます」と、補助係の女性を見やりながらいたず
らっぽく笑った。
乗用型は土地の基盤整備が進み、大型機械化体系が確立した鹿児
島茶業の象徴。「西垂水」一社が所有する乗用型は、栽培面積七百
四十ヘクタールの静岡県袋井市内で使われている乗用型の数に匹敵
する。
けた外れの規模とともに「西垂水」の経営を際立たせているのが
徹底した計画生産と平等主義。組合員は自分の畑を勝手にいじるこ
とができない。
西垂水社長は「芽の伸び具合や品質など取引先から
求められる荒茶を計画的に生産している。ち密な計画摘採が高収益
を生む」と言い切る。
茶畑別に生葉を格付け審査して点数をつけ、組合員に支払う生葉
の買い取り代金をはじき出す。わせ種偏重の栽培や収量にこだわる
刈り取りはない。「生葉買い取り生産払い方式」の採用で組合員の
収入は安定した。
共同作業の日当と合わせると、ほぼ半数の組合員
の年収が一千万円を上回る。
徹底した計画生産と合理化経営を追求する企業的生産集団。西垂
水社長がシベリア抑留当時に培った労働観が、旧ソ連の集団農場
(コルホーズ)を思わせる経営形態の中に息づいている。
西垂水社長の捕虜生活は三年間。「向こうまで行ってやっと昼め
し、帰ってくるともう夕方。そんなばかでかい農場で働かされたこ
ともある」と、極寒の地での強制労働を振り返る。帰国後、茶園経
営に乗り出した。青年の頭にあったのは「作業量に応じて賃金を支
払い、利益を公平に分配するシステムの構築だった」という。
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─* 攻める生産地/2・アメリカどん *─
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[1998年04月27日:朝刊 001頁掲載]<10年前のお話>
午前六時、けたたましいサイレンが雪丸の集落に響き渡った。南
九州市頴娃町。共同製茶工場「エイ・ティー」
「エイ・ティー」は系列農家二十八戸を抱える町内最大の茶工場。
四月十五日。一番茶の刈り取りはピークを迎えようとしていた。
雪丸は頴娃町内でも古くからの茶産地。田原さんは「どこの畑も.
あぜには茶の木があった。お茶の時期には茶工場からいいにおいが
していた」と、子供のころを振り返る。
そのお茶を選んで早くから
大規模、機械化農業を進めてきた。
田原さんの近代経営のルーツは米国にあった。一九六〇(昭和三
十五)年、二十三歳の時に単身渡米した。「出稼ぎです」。海の向
こうに求めた夢は「百万円の金をためること」だった。カリフォル
ニアの農家で三年間、短期農業労務者として働いた。「コメやナタ
ネ、サツマイモ畑で、地をはいずるようにして働いた。人に使われ
るのはもうこりごりだと思った」。田原さんはそれ以上、当時の苦
労を話したがらない。
帰国後、稼いだ金を元手に一ヘクタールの茶畑を開く。はじめか
ら平らでうねの長い畑にした。「向こうでは地平線までうねが延び
るような畑が当たり前。そこで大型の機械が動いていた。これから
農業で生きていくにはこれしかない」と、田原さんは米国式大規模
農業の実現を目指した。その後の機械化の流れをすんなり受け入れ
ることができた。
エイ・ティーの系列農家の茶畑は合わせて六十ヘクタール。FA
(ファクトリーオートメーション)工場で年間千三百トンの生葉を
荒茶加工する。頴娃町郷土誌には「昭和三十年に難民救済法に基づ
くアメリカへの契約移民制度が始まり、進取の気性に富んだ頴娃町
からは翌三十一年までに百九人が海を渡った。成功者を”アメリカ
どん”と呼んで尊敬した」とある。
同じ頴娃町内の「南薩茶業」は系列農家八戸で三十三ヘクタール
の茶園を管理する。年間に生産する荒茶は七百トン余り。以前から、
生産する荒茶のほぼ全量を静岡茶市場に出荷するという独自路線を
歩んできた。今では「頴娃でキロ単価が最も高い茶工場」という確
かな地位を築き上げている。
かじ取り役の飯伏徹社長(59)は「消費者に名前を知ってもら
うことよりも、消費地の茶商に評価されることが先決」というのが
信念。目指すは静岡向けの茶づくりだ。ニーズをつかむため、静岡
茶市場への毎日の電話は欠かせない。
一番茶が本格化した十一日、受話器を握る飯伏さんの顔がほころ
んだ。「(荒茶が)キロ八千百円で取引されたそうです」。相場と
ともに「今年の鹿児島はものが悪くて困っている。南薩があって助
かった」という問屋の評価も伝えられた。この日、鹿児島県茶市場
で取引された頴娃町の荒茶の平均単価は四千八百六十円だった。
田原さんたち生産者には、それぞれ闘いの歴史がある。その知恵と
血のにじむ努力が急伸する鹿児島茶を支えている。
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08年現在の「鹿児島茶考」-------------
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─* ■「今がチャンス」 *─
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[2008年05月30日:朝刊
008頁掲載]
「鹿児島はもう自立できるだけの力がある。いつまでも静岡頼みでは
だめだ」。一九九四年から六年間、県茶商業協同組合理事長を務めた
特香園の桑畑(くわはた)茂隆社長は強気だ。その口調からは品質へ
の確かな自信がうかがえる。
理事長在任時、「かごしま茶」シンボルマークを制定するなど銘柄
確立に尽力したが、「当時は荒茶取引で経営が成り立つ時代。ブラン
ド化に向けた業界全体の熱意はかけ声ほど高くなかった」。仕上げを
県外に任せてきたために消費者とのパイプが細く、新たに販路を開拓
してもすぐ静岡につぶされた。
それから十年余り、消費・流通構造の変革で「作れば売れる時代」
は終わろうとしている。「今の安値も逆手にとれば『安くておいしい
お茶』を消費者に届けられるチャンス。静岡に嫌な顔をされても、
どんどん売り込んでいけばいい」。桑畑社長の口調が一段と熱を帯び
る。
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─* 最後に *─
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一番茶低迷、それは静岡との“親離れ”を促すサインでもある気が
します。鹿児島のお茶農家の一年の収入は市場の荒茶の一番茶の値段
でほぼ決 まります。その値段が、2・3・4番茶まで影響してきま
す。一年を占う今年は鹿児島茶のいい意味で、試練の年です。
当店で も安くておいしいお茶』をお客さまへどんどん販売いたします。
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鹿児島茶の特徴はこちらから
http://www.chiranmeicha.com/tokucyo.htm
新茶で季節のご挨拶・・・・
今年も知覧茶をどうぞ宜しく。
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