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- 2010年03月 16日07時30分
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- 件名:オフィシャルメルマガchiranmeicha.com
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知覧銘茶.com 担当の うえっぶ松(webmatu)といいます。!
本日もどうぞ宜しくお願いいたします。
それでは、今回もお茶の持っているポテンシャル(お茶のパワー)とは今回は
少しは異なりまして、「お茶と禅」についての話しを"うえっぶ松"があなたへ今
日もお届けいたします。今回は「お茶と禅」についてです。
「禅」とは座禅の「禅」の事なのですが、この禅とは仏教と同じ意味だそうです。
では「禅」は何時ごろ生まれたかといいますと、お釈迦様が悟りを開いたときか
らというのが,正解です。
私の詠んだ本によるとお釈迦様は座禅の最中に若い女性の弾く楽器の音色に「
はっ」として楽器は張りすぎても緩すぎてもいい音のねはしない事に気ずき、あ
らゆる苦行を止め、女性の差し出す禁じられた牛乳(修行には禁じられていた)を
飲み、たった7日間で悟りを開いたのです。
どんなに苦行や荒行を続けるよりも心の絃(げん)を中庸にして自分を振り返った
時に初めて、悟りを開いたのでした。
その7日間は座して自分を省り見ただけでした。苦行や修業もまったく関係なく
本来の自己に戻ったときに、悟りを開いたのでした。
お釈迦様はインドのある地方の王子でしたが、結婚をして妻を置いて出家したの
ですが、子供も一人いました、たしか名前は「ラーフラー」:迷うという意味。
だったと記憶しておりますが、出家する前に自分が迷ったからだそうです。釈迦
も人間だったのでした。その人間が、ふつうの生活に戻って7日間で悟りを開い
たのですから、私たちにも「できなくはないかも」と思いませんか。?ちょっと
くどくなりました。
そのお釈迦さんから達磨さんが座して悟りを開き、現在の座禅がお寺の禅寺とか、
今、「座禅」の形で伝わっているだけなのです。
話は元に戻りますが、お茶は奈良時代に中国に遣唐使で派遣された、栄西(よう
さい)が、中国の禅寺から帰国したときにお茶の苗木を持ち帰った時から始まり
ます。栄西はお茶について『喫茶養生記』(きっさようじょうき)に著しています
が、源実朝にお茶を献上し、その後、宇治へ日本の茶栽培が始まりました。
室町時代になって.村田珠光が「茶の湯」を創りその後、千利休が、「茶禅一味」
(ちゃぜんいちみ)の精神、即ち「茶道と禅の求める所は同じ」という意味。千利
休は織田信長や豊臣秀吉に仕えましたが、あなたもご存知のとおりです。千利休
のお孫さんが茶道を再興し、三千家(さんせんけ)が今の表千家とか裏千家とかに
繋がっているみたいです。お茶と禅はお坊さんつながりですね。
次回どっとこむ通信もよろしく...........。それでは........また.......
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