鹿児島県川辺郡知覧町中郡にあった、「鳥浜とめさん」の富屋食堂は、知覧分教所が開校されて以来、軍の指定工場になっていました。知覧飛行場に来た隊員達は鳥浜とめさんのことをいつしか「おかあさん」と呼ぶようになていました。昭和二十年、沖縄方面に対する特攻作戦が始まってからというもの、鳥浜とめさんは家財道具を売ってまでも、最後の思い出にと富屋食堂を訪れてくる特攻隊員達をもてなしたのです。以下は、鳥浜とめさんが特攻隊員たちの思い出を語ったものです。 ----- 『隊員の人達の多くは、戦争をしてはならない、平和な日本であるように、ということを言っていました。そして、そのことをできるだけ多くの人々に伝えて欲しいとも言っていたのです。みんないい人達でした。みんな極楽に行く人達でしたから、とてもやさしいんです。全部私の子供にしたい思いでした。自分の母の代りになってくれと、ほとんどの隊員の人達が言いました。 宮川三郎軍曹は出撃の前夜、わたしのところにあいさつに来られ、「明日わたしは沖縄に行き、敵艦をやっつけてくるから、帰ってきたときには、宮川、かえって来たかと喜んでください」と言うので、「どんなにして帰ってくるの?」と尋ねたら、「ホタルになって帰ってくる」と言うのです。そしたら、約束の時間にホタルがやってきたんです。富屋食堂の裏に小川が流れていたのですが、そこに、一匹の大きなホタルがやってきて、白い花にとまったのです。本当に大きなホタルでした。思わずみんなに、「このホタルは宮川サブちゃんですよ」と言ったんです。そして、みんなでそのホタルを見ながら<同期の桜>を歌いました。 引用参考文献 知覧特別攻撃隊 (村永薫編 1989ジャプランブックス)
●知覧の母 「私自身にとって、この世でトメさんのような人に、いき会えたことは、人間としての至福といえるに違いない」…決死ではなく必死といわれた作戦を遂行する若干20歳前後の隊員たちを、信じ難いほど清らかな心でわけへだてなく愛したのが故・鳥濱トメさん。軍指定の富屋食堂を営んでいたトメさんは、戦時中は私財をなげうって隊員たちの世話をし、終戦時は故郷アメリカから遠く離れた進駐軍の兵士たちの世話をし、戦後は隊員たちの思い出を遺族の方に届け続けた。冒頭の言葉は現都知事の石原慎太郎氏の文章で、以下にこう続く。「実際、その手にたくさんの赤子をかかえた仏の姿を、私は目のあたりに眺めることが出来たのだから」映画
の中では、富屋食堂に帰ってきたホタルのシーンや、金山少尉がアリランを歌うシーンが感動的でした。旧富屋食堂は、若い特攻隊員たちに母親のように親しまれていた故・鳥濱 トメさんが経営していました。すぐ隣には、戦後経営していた旅館があります。当時の写真や遺品・ホタル池などがあり、深い感銘を受けます。
所在地 〒897-0302川辺郡知覧町郡104(県道27号線沿い)問合せ先
ホタル館 TEL・FAX0993-83-4726施設案内
当時のままに食堂復元が決定し、2001年10月初旬頃完成予定。駐車場-すぐ近くの役場西に有料駐車場。バス5台。乗用車30台
●現在の平和特攻観音 知覧の町は、昔から武家屋敷で有名ですが、武家屋敷の周りの
街並みも小奇麗で風情があります。 ちょっとおすすめなのが、富屋旅館横で販売しているアイスクリーム
抹茶アイスとバニラがおいしい。
入り口をのぞいてみるとトメさんの特攻隊員を桜になぞらえた感銘深い俳句があります。この唄を読むとアイスがのどにつかえてしまうかもしれませんね。